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「嬉しかった時」「悲しかった時」「励まされた時」・・・。そんな時に食べた洋菓子(patisserie)の味をもう一度。

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東日本大震災後に食べた息子の誕生日ケーキ

      2017/04/19

東日本大震災後に食べた息子の誕生日ケーキ

 

20011年3月11日東日本大震災が発生しました。

私はこの時、まさに被害を被った地域である福島市に住んでいました。

 

福島市は、地震による被害も受け、さらにその後の原発事故による放射能被害が数年間に渡って影響を受けています。

 

今は福島市を離れましたが、今だなお放射能被害の問題は解決できていない状況と聞いています。

 

 

震災当日私の住んでいた福島市は、震度6の地震に見舞われました。

これまでに経験したことのないようなものすごい激しい揺れで、この世の終わりかと思うぐらいでした。

 

地震の揺れがおさまった後は、水道、ガス、電気、通信のすべてのライフラインが止まってしまいました。

東北地方の3月と言えば、春が近いと言っても雪がちらつくこともあるぐらいまだまだ寒い季節です。

 

電気が無いため急遽準備した石油ストーブで暖を取り、毎日早朝に給水場で汲んできた水を少しづつ大切に使う日々が続いていました。

 

そんな状況であることから、もちろんまともな食事も摂ることができません。

 

家に残っていたお菓子や加工食品でなんとか食いしのぎ、どこかのスーパーが開くと言う情報を聞きつけると、大業列に1時間も並んで、ほんの少しの限定された食料を手にいれることがやっとでした。

 

 

そんな状況の中で、当時5歳だった息子の誕生日を直前に控えていました。

 

息子は誕生日をものすごく楽しみにしていましたが、子供ながらこの状況を自分なりに理解して、わがままも言わずに我慢してくれていました。

 

 

そして、息子の誕生日当日を迎えました。この頃は電気は復旧していましたが、まだまともに食料が販売されていない状況でした。

 

プレゼントもご馳走も用意できなくて息子にはかわいそうな思いをさせてしまうと思い、落ち着いたらお祝いをしようと言い聞かせていました。

息子もそれを理解してくれていました。

 

 

その日もいつも通りに加工食品で簡単な食事を済ましていたところでした。

夜の19時頃に家のチャイムが鳴り出てみると、近所の息子の友達のお母さんです。

なんと、息子の誕生日のためにケーキを焼いたとのことで、ケーキのプレゼントを持ってきてくれたのです。

 

 

まだ食材が手に入らないので、スポンジケーキに飾りがついた程度の物でしたが、それを見て涙ぐんでしまいました。

 

こんな時に息子のためにケーキを準備してくれた温かい気持ちがとても伝わってきました。

息子も大喜びで、一緒にケーキを食べました。

 

イチゴもクリームも無い、ただのスポンジケーキでしたが、これだけ嬉しいケーキは他にはありません。いつまでも思い出に残る味のケーキでした。

 

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